寄稿 [下田先生と私]
あなたはご存知ですか? 下田先生によるすてきな巻頭言が「安東先生と私達」と題した安東吾郎先生をお送りする冊子にあります。私事、昭和56年4月に中央病院に赴任してから安東先生と共にいました。私のみならず、安東先生を慕う私たち皆にとっては唐突でしたが、平成の世になり安東先生をお送りすることになりました。一方、その当時、小児病棟の婦長であった下田先生の歓送会などにおけるお話に感動したのが鮮明な印象としてあります。そして、今また「安東先生と私達」の巻頭言を読み直し、出会いのあった人への愛、信頼と豊かな心情に満ちている文章であることに気づきます。
下田先生の心温まる姿勢、数々の言葉、語りかけは、看護学生さんをはじめ、将来を担う若い人たちの勇気となり、自己啓発となり得てきたことでしょう。病をもつ人を癒す看護婦にとどまらず、下田先生はすばらしい教育者であったわけです。私も、少々恥ずかしさも覚えましたが、お褒めの言葉をかけていただいた機会に、自分自身を肯定的にとらえ、一方で、謙虚であれと、襟を正したことが再々でした。一方、私にとっては、安東先生をお送りした後の、平成の7年間における、時々の出会いと学びが大きかったように思います。
その機会の一つとして、鳥取県における在宅の筋ジストロフィー症患者さん方のための療育キャンプがあります。毎年恒例となっているこのキャンプは、第2回の昭和56年以降、毎年、看護学校の代々の学生さんが「でんでんむしむしかたつむり」と称し、ボランティアで参加しておられます。そして、療育キャンプの企画の段階から、看護学校の一室をお借りして、米村お父ちゃん、米村おかあちゃんをはじめとした筋ジス協会鳥取県支部の方々とともに、学生さんが代々加わっています。また、学校祭である「千代祭」における筋ジス・チャリティ・バザーが定着したのも、下田先生あってのことでした。バザーの収益金は、日本海新聞社を介し、筋ジス協会鳥取県支部に届けられ、そして、県内各地で、毎年1回、1泊2日で開催される療育キャンプの資金となり、患者さん支援や療育キャンプ運営に役立っています。
下田先生には療育キャンプにも参加していただいたことがありました。患者さんや、ボランティア参加の看護学生さんにとっては大きな励ましとなり、私もうれしく思いました。機会がありましたならば是非、いや公職を離れられた今こそ、毎年常に、療育キャンプにご出席くださえばと願います。
下田先生は、いつも若い人たちとともにあり、いついつまでも心が若く、夢を育み、今後も着実な言動をお続けになられると思います。先生との出会いを楽しみにし、私も自己啓発し、仲間に恵まれつつ、日々を過ごしたく思います。
下田先生との出会いに感謝し、拙文を記す機会を与えられtことにも感謝します。
資料整理をしていたら、平成8年5月 退官記念事業会 B5版40頁ほどの冊子が出てきた。
本寄稿文「下田先生と私」は、下記に掲載(21頁)に掲載されています。 2022/3/27(日)
★★★★★★★ [私たちの北斗七星 下田幸子先生と私たち]
緒言は、当時の院長で鳥取県立鳥取看護専門学校校長 植木壽一先生、次いで、小生が中病赴任時の院長で、論文執筆に係る恩師の牧野禮一郎先生の「送る言葉」、そして、教務主任であった下田幸子先生ご本人の「ご挨拶」と、著作公演録が続いています。寄稿録には、当時の小児病棟 木下勝子婦長「下田先生に乾杯」と、依頼されて執筆した小生の「下田先生と私」も。
下田先生の近況・ご尊顔・・・ はと、ネット検索したら下記のみがヒットした。
当時の小児病棟・NICUの看護師を代表して田中文子主任、下田師長を共著者にした。当時は、安易で、論文執筆に関与がなくても共著者とすることが出来ていたのです。 2022/3/28(月)記